本文
分類 | 町指定史跡 |
---|---|
指定年月日 | 平成7年12月22日 |
所在地 | 大字長井字板沢 |
所有者 | 個人 |
板沢古墳(駒壇経塚)は、当初円墳として遺跡登録されていましたが、平成7年度の発掘調査の結果、経塚であることが判明し、周辺地域の伝承から駒壇経塚と命名されました。
その経塚は、土を盛って構築されていて、周溝内からは、土師質土器の破片が出土しました。経塚のほぼ中央部に、人頭人から拳大の石が方形状に配置され、その下に直径50センチメートル、高さ40センチメートルの円筒形の石製容器が納められていて、その周囲からは刀子(とうす)というナイフ状のものが刃を上向きにして1対2点納められていました。また、石製容器内には経木片が残っていました。
この経塚は、現在のところ出土遣物などから13世紀代に構築された経塚と考えられます。また、構築当時の埋経方法を端的に知るうえで大変重要な遺跡です。
昔、川をはさんだ山が動いて川幅がせばまり、水がせき止められて会津平が海になってしまうと大騒きになり、駒山には駒馬と経文を書いた石、対岸の船岡の山には和尚を生き埋めにして析ったところ山(和尚山という)は静まったという伝説が残っています(山都町)。