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岌州遺品(ぎゅうしゅういひん)


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印刷ページ表示 2013年12月4日更新

岌州遺品の写真1 岌州遺品の写真2

分類町指定重要文化財
種別歴史資料
員数5点
指定年月日平成4年12月10日
所在地大字青木字青木
所有者正徳寺

岌州が、永禄(1558~1570年)の頃、故国である青木村に下向した折に正徳寺に土産として5品を贈っています。今、寺宝として残されている県指定文化財の絹本著色十六善神像と次の品々です。(1)山越阿弥陀図、(2)翡翠(かわせみ)画、(3)阿弥陀三尊来迎図織物、(4)獏(ばく)の香炉(こうろ)
その他に、天正13年(1585年)岌州が会津蘆名家の重鎮、金上盛備宛に送った書翰が残されています。これは盛備の書状への返書とみられます。以上の5点は、岌州に関する歴史資料として大変貴重なものです。
岌州は、青木村の生まれで、正徳寺で剃髪し、後に京都・知恩寺第30世住職になった人物です。また、時の関白近衛前久の信を受け、上杉謙信の上洛や関白との盟約に深くかかわったり、盛備を使者として会津蘆名と朝廷や豊臣秀吉、細川幽斉ら時の権力者・実力者達との交わりを手助けしたりして、戦国の世の動向に深くかかわっていました。

※金上氏は、蘆名氏の一族で、代々金上を本領として、越後口守備の拠点津川城主でした。盛備(もりはる)は、時の領主蘆名盛氏に仕え、臣下最高位にありました。盛氏の使者として、度々朝廷や将軍、豊臣秀吉らに謁見しており、蘆名家臣としてはただ一人「従五位下遠江守」に任ぜられています。また、文武両道にすぐれ、当代一流の文化人らとの交流もありました。伊達政宗との磨上原の戦で戦死しましたが、盛備らの忠誠をたたえる三忠碑が建てられています。金上寺境内には、明治24年に建てられた盛備の墓碑があります。

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