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森北1号墳出土品附塚出土資料もりきたいちごうふんしゅつどひんつけたりつかしゅつどしりょう

印刷用ページを表示する掲載日:2013年12月4日更新

森北1号墳出土品附塚出土資料 森北1号墳出土品附塚出土資料2

分類県指定重要文化財
種別考古資料
員数一括
指定年月日平成14年3月29日
所在地字五反田
所有者会津坂下町

森北1号墳は、会津坂下町大字見明字勝負沢地内にある前方後方墳(全長41.4メートル)で、平成10年度に創価大学と共同で学術調査を実施しました。
この調査で、古墳の埋葬施設(主軸長6.7メートル、幅2メートル)から舟形木棺と思われる痕跡(主軸長5.34メートル、舳先幅35センチメートル、艫先幅92センチメートル)が認められました。棺内からは、銅鏡(放射状区画珠文鏡)1面、管玉2点、鉄製槍先1点、鉄製針1点、鉄製やりがんな2点、漆塗り製品1点、土器14点が出土しました。

銅鏡は、全国的に類例の少ない放射状区画珠文鏡という特殊な鏡で、当時政治の中心であった大和周辺で作られ、地方豪族と連携を深めるため中央からもたらされたものと考えられます。直径8.4センチメートル、重さ53.24グラム。銅鏡の周囲からは木片を含む有機質が検出され、銅鏡は箱などに納められていた可能性があります。

鉄製品も、当時の日本には製鉄技術が無かったため、大陸から輸入されたものを加工していたと考えられますが、これを入手するため中央と深い関係を結んでいた可能性があります。また、周溝や墳丘付近から出土した土器(土師器)は赤彩された二重口縁壷などですが、これまで調査されてきた男壇遺跡(青津)・稲荷塚遺跡(新富町)や会津若松市の堂ケ作山古墳から出土した土器と大変似ており、このことから、森北1号墳は古墳時代前期前半(4世紀前半)の築造と考えられています。

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