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五十嵐家住宅は、桁行八間半、梁間三間半、寄棟造、茅葺で正面向って左寄りに大戸口を開きます。屋内は左手三分の一強を土間および馬屋とし、右手は居間(なかのま)、座敷、寝室の三間取ヒロマ型となっています。これは会津平坦部の中堅層農家住宅の典型的な造りで、「享保14年」に建てられたものです。
昭和30年まで住居として使用されており、比較的改造の少ない状態で現在の場所に移築し、平成8年より一般に公開しています。
会津坂下町大字塔寺字大門1466番地
会津坂下町
会津坂下町教育課生涯学習班(電話:0242-83-3010)
4月~12月 午前9時00分~午後4時00分※月曜日は休館日
無料
昭和の演歌歌手の第一人者である「春日八郎」は当町出身者です。名曲「別れの一本杉」の題材となった一本杉と地蔵があり、その傍らに記念碑と「春日八郎記念公園・おもいで館」があります。館内には、春日八郎が愛用したピアノやステージ衣装のなど、ゆかりの品々が展示されています。また、会津坂下駅前広場には、ブロンズ像ももあり、デビュー曲の「赤いランプの終列車」が流れます。
会津坂下町大字船杉字松原2944番地(春日八郎記念公園・おもいで館)
おもいで館(電話:0242-82-4254)
午前10時00分~午後4時00分
4月~11月(※冬期間休館)
小林五浪画伯は、町の名誉町民で日本画家として第一線で活躍されました。この美術館は、故小林五浪画伯より寄贈されたもので、水墨画、アイヌシリーズ、シルクロードシリーズなどを中心に200点あまりが収蔵されています。
会津坂下町字台ノ下842番地
会津坂下町教育課生涯学習班(電話:0242-83-3010)
五浪美術記念館(電話:0242-84-1233)
企画展開催時のみ
午前9時00分~午後4時30分(入館は午後4時00分まで)
光明寺の門は、ケヤキ材の入母屋造りで、元は茅葺でしたが明治38年に銅板葺きに改修されました。2階建てで上層・下層の間には高欄つきの回縁を巡らしており、桁行3間、梁間2間で、楼上に梵鐘を吊り下げた楼門です。下層の四隅には象・獅子の木鼻の装飾と、欄間には十二支の彫刻が施されています。
寛政9年(1797年)正月に大雪で倒壊し、文化元年(1804年)3月に再建した棟札があります。
会津坂下町字茶屋町甲3913番地
光明寺
越後街道は、新発田藩主の参勤交代路の他、越後からの塩の道でもありました。明治15年に会津三方道路の越後街道は藤峠経由になりましたが、それまでは交通の要所として賑いました。今も一里塚など昔の街道の名残が残っており、往時を偲ぶことが出来ます。
街道沿いには、昔から「束松」と呼ばれる特殊な樹形のアカマツが生育することで知られており、地名にもなっています。昔は親松、子松、孫松、三本松と5本ありましたが、現在は「曾孫松」の1本のみとなりました。この近くにはヒメサユリも群生しおり、春には一面にピンクの花を咲かせます。
会津坂下町大字束松字八百刈地内 他
天屋区 他
戊辰戦争時に娘子隊(婦女隊)を結成し、薙刀を手に女性ながらに果敢に戦い散っていった「中野竹子」。辞世の句「武士(もののふ)の 猛き心にくらぶれば 数にも入らぬ 我が身ながらも」が竹子の心情を語ります。
会津坂下町字光明寺東甲3944番地
法界寺(電話:0242-83-3519)
"杉の糸桜″は胸高幹周囲約3.2メートル、樹高6メートル、花はやや白色で、エドヒガンザクラの一種とです。樹齢は200年と推定されていますが、天正年間に植えられたものの二代目といわれています。会津五桜の一つで、春には多くの観光客が訪れます。
県緑の文化財登録。町指定天然記念物。