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恵隆寺観音堂(立木観音堂)(えりゅうじかんのんどう(たちきかんのんどう))

印刷用ページを表示する掲載日:2013年12月4日更新

恵隆寺観音堂(立木観音堂)

分類重要文化財
種別建造物
員数1棟
指定年月日明治37年2月18日
所在地大字塔寺字松原
所有者恵隆寺

恵隆寺観音堂(立木観音堂)は、寺伝によると建久年間(1200年頃)の建立と伝えられています。慶長16年(1611年)の会津大地震で被災後、直ちに大修理に着手し、元和3年(1617年)に竣工しましたが、主体部は創建当時の形態を踏襲しているといわれます。

観音堂は、方五間で正面には向拝があり、木割が雄大です。柱はすべて円柱で、柱頭には和様の三斗を組んでいます。寄棟で茅葺の屋根には、会津地方独特の棟飾り(グシ)があります。軒の出は深く、二重繁垂木は隅木近くでほどよい反りをみせており、下から見上げたとき、その線列の美しさにひかれます。豪放でどっしりとしたこの堂は、鎌倉時代の遺構を残す和様の古建築です。

恵隆寺は高寺伝承の寺といわれ、中世には心清水八幡神社の神宮寺の役割を担っていました。塔寺はその門前町として繁栄していきました。

※高寺の伝承として、高寺山を中心とした地域に三十六坊が繁栄し、東の磐梯町・慧日寺に対抗していたという話があります。

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